爆弾を落とした飛行機
爆弾を落とした飛行機は、B-29といいます。この長距離爆撃機に関しては、非常に多くの資料があり、インターネット上で調べることも可能です。この「びーにじゅうく」という言葉自体が、戦争が終わって二十数年たって生まれた私にも恐怖感を与えます。
そして、この爆撃機について調べるだけでも、アメリカの強大さを思い知らされます。全長30.195メートル、翼の幅が43.07メートルという大きさは、日本の軍用機のどれよりも、はるかに大きなものでした。さらに、1万メートルの高度まで飛ぶことができ、空気の圧力が一定に保たれた爆撃機の内部では、乗務員は特に酸素マスクなどつけなくても活動できるのでした。
エンジンは2200馬力のものが4つもついています。戦闘機と爆撃機では規模が違いますが、日本海軍の戦闘機、零戦のエンジンはB-29のエンジン1個の半分以下の馬力しかありません。B-29は爆弾を最大9トン積んで飛ぶことができました。焼夷弾攻撃の場合は250kgの収束弾を40個積むことができ、焼夷弾M69の子弾では1520本になります。
驚くことに、生産された機数としては4000機にものぼり、マリアナ諸島の基地には千機あまりが日本攻撃にあたっていたといいます。本を見ると、基地にずらりと並んだB-29の写真がよく載っていますが、空港の建設能力も含めて、恐ろしい物量、国家の力だと思います。ちなみに長岡が空襲された8月1日には882機が攻撃に参加し、6632トンの爆弾を投下しています。
対する日本の防空能力は、貧弱なものでした。当初、B-29の攻撃が軍需工場を標的とした高高度からの大型爆弾による攻撃だった頃、高射砲は届かないし、日本の戦闘機は高高度での戦闘能力が低いなど、あまり相手になりませんでした。B-29が高度を下げて都市へのじゅうたん爆撃をするようになってからは、日本側も多少抵抗できるようになりました。
ただし戦争末期になると日本の陸軍機は本土決戦に備えて、B-29への防衛には出動しなくなったので、結局、防空体制は弱いままでした。8月1日の882機による攻撃ではB-29の1機が失われただけです。
撃墜あるいは事故で失われたB-29は、アメリカ側の見積もりで485機になります。また、戦闘機の損失212機とあわせて、死者行方不明者が3041名と報告されています。この数字を、どう考えるべきでしょうか。アメリカの報告書はのべ33,047(機回)の攻撃を考えれば、損害は微々たるものだとしています(ref.#5 pp119)。
確かに広島長崎の二発の原子爆弾で30万人、その他の空襲も含めると合わせて56万人の日本人が亡くなっていることから考えると小さな数字ですが、3000人の米兵が死ねば、間違いなく6000人の父母がアメリカ本土で悲しんだはずです。さらに同じくらいの数の兄弟に加え、12000人の祖父母も悲しんだことでしょう。これを「微々たるもの」と呼んでしまうところが、国家の行う戦争の恐ろしいところです。
とはいっても、やはり焼き殺されてしまった日本人の多さは人類史上の悲劇と言うべきです。余談になりますが、私がこのウェブサイトを作ろうと思ったきっかけのひとつが、アメリカのテレビ番組のヒストリーチャンネルで、B-29を「平和をもたらした飛行機」を呼んでいたことです。そこまで一面的な戦争のとらえ方ってあるだろうか、と疑問に思い、このウェブサイトを作ろうと一念発起しました。