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アジア太平洋戦争

   まず、確認しておかなければならないことは、1941年12月8日から、1945年8月15日まで、日本はアメリカ合衆国を始めとする連合国と戦争をしていたということです。今の若い人がどれくらいこのことを知っているでしょうか?私が中学生だった頃、学校の歴史では習いませんでした。授業が間に合わなかったことと、受験には出ないからだったと思います。
   この戦争を太平洋戦争といいます。太平洋地域だけでなく、広くアジア地域に戦禍を引き起こしたことを考えると、アジア太平洋戦争と呼ぶのが正しいでしょう。アメリカの国力、軍事力は圧倒的なものでした。戦争末期には日本本土にアメリカの攻撃が及び、一般市民を含めた非常に多くの人たちが亡くなりました。しかし、それからすでに70年以上が過ぎ、戦争の経験のない人がほとんどとなりました。いかに戦争が悲惨なものか、語られることも少なくなっています。
   また、ごくたまに戦争が語られることがあっても、アメリカから受けた被害があまりに大きかったので、どうしてもアメリカとの戦争の話ばかりになりますが、日本はある日突然アメリカと戦争になったわけではありません。日本はずうっと前から中国本土の領域で戦争をしていたのです。
   そこでアメリカとの戦争より前のことを少し調べてみましょう。 1929年には、世界恐慌が起こりました。これにより、早くから植民地を持つなどの「持てる国」と日本など植民地や資源に乏しい「持たざる国」との格差が広がった、との説明がなされます。ただ、こうした説明で植民地争奪戦争を正当化できるとは私にはとても思えないのですが、話を進めます。

1931年、柳条湖事件:満州事変;これをきっかけに日本軍は中国東北部を占領。
1932年、日本はその中国東北部を満州国と仕立て上げますが、実質的には日本の支配でした。
1933年、日本は国際連盟を脱退します。
1932年、5.15事件そして、1936年、2.26事件:これらにより、軍部の影響が次第に強くなり、議会や政党の働きは弱くなっていきました。
1937年、北京郊外の盧溝橋で日本と中国の間で戦闘が起こりました。これ以降、日中戦争が本格化します。
1938年、国家総動員法:戦争が長引いてきましたので、国は戦争目的で、国民を徴用したり、物資を徴発したりするための法を作りました。
1940年、大政翼賛会:政党政治や民主主義はやめて、戦争目的のために国内の言論を統一するために組織されました。
1941年、7月に、当時フランス領だったインドシナに日本軍を進めます。これにアメリカ合衆国は怒り、石油をはじめとする軍事物資を日本に輸出しないことにしました。そして、日本は12月8日にハワイのアメリカの基地を攻撃して、戦争を始めました。

   これでも、話をかなり単純にしています。詳しいことは、図書館に行って自分で何冊も読んでみると良いでしょう。いろいろ読んでみて、正しそうだなあと思えるものを探し出してみることが大切です。それはともかく、大事なことは、ある日突然アメリカの爆弾が頭の上に降ってきたのではなく、そうなる前に、色々なことが、徐々に起こっていたということです。
   アメリカとの戦争は、やがて日本が劣勢となりました。マリアナ諸島に爆撃機の基地が造られると、1944年11月以降は日本本土が爆撃されるようになり、1945年6月以降は地方都市まで攻撃されるようになりました。新潟県第二の都市の長岡も空襲の攻撃目標になります。