2021年1月
2年間の空白を超えて
さまざまな事情があって、このウェブサイトを2年間も更新できませんでした。最近になって気づいたのですが、この前のページ「両面焼きの魚焼きグリルの不都合」を閲覧される人が多くなりました。それも公開してから2年近く経ってから、急にアクセスが増え出したのです。おそらくどなたかがリンクを貼ったのでしょう。私もこれまでいろいろな文章をインターネットに公開しました。それで分かったことは、私のように個人でネットに文章を書いている場合、アクセスが得られるまでだいたい2年かかるということです。頑張って書いても最初の1年は誰も来ません。もし他の人にも役立つような内容のある情報を書けば、検索で上位になったりして、訪問者がちらほらいらっしゃるようになります。しかし、個人がインターネット上で活動するにあたって、2年先を見据えて作業するのは、ちょっと難しいことのように思います。この2年間での私の身の周りの変化を考えると、そう思います。
インターネットの世界も変化してきています。一般に開かれたインターネット上の文章をブラウザで見るという以前の閲覧方法から、アプリをダウンロードして、そのアプリの中の閉じられた領域で閲覧し、サービスを利用するということが多くなってきたように思います。ただし、この変化は私には取り扱えないほど大きな問題だと思いますから、ここで議論しようとは思いません。また、私のように旧来のhtml文書を手入力でサイトを作るようなことはもはや一般的ではありません。SNSアプリの流行で、ブログですら旧式のツールになってきました。
ところで、さきほど、インターネットに公開してから人が見に来るまで2年くらいかかると書きました。この点については、自分で作ったhtmlのホームページと、ブログに違いは無いように思います。どちらも人が見に来るようになるまで、2年かかります。では、自分で作ったホームページとブログの違いは何でしょうか。ブログサービスの方は、運営会社がサービスをやめてしまえば、自分が苦労して作った物がむだになります。これまでに、何回そのような事態が生じたでしょうか。ブログサービス終了の時は他のブログサービスへのデータ移行の方法が示されたりしますが、おそらく、大量のデータが消えていくのだと思います。例えば、Yahoo Japanがブログをやめたとき、うまく移行できた人もいたでしょうが、今まで作って書いてアップした物を失ってしまった人も多くいたはずです。その点、自分でhtmlでホームページを作成していれば、全データやスタイルが自分の手元に残っているわけですから、すぐにデータ移行や再開が可能になります。私が長年このサイトを維持しているのも、このような理由が大きいです。htmlで作ったホームページの利点として、あまり言われていませんが、大事なことだと思います。
さて、短期間下宿していたときに使っていた両面焼きの魚焼きグリルは、もう使っていません。事情があって、今は台所に据え付けの片面焼きの魚焼きグリルを使っています。焼けたか焼けていないかの頻繁な確認や、ひっくり返す時のテクニックなど、必要ですが、何と言っても後片付けが簡単です。ですから魚の塩焼きをどんどんやっています。基本、夕食は肉の日の次に魚の日、と交互に肉と魚を食べています。魚はたまに煮魚やアルミホイルの包み焼きをしますが、圧倒的に魚焼きを使った塩焼きが多いです。
両面焼きの魚焼きグリルが中央にあるガスレンジは、ダンボールに入れたまま、物置に転がっています。7万円くらいしたのですが、1年ちょっとしか使いませんでした。魚を焼いたあとの清掃の大変さを考えると、とてもではありませんが、二度と使う気にはなりません。このような製品が、なぜ世の中に出たのか不思議です。例えば一番最初に考えついて発売した会社に負けまいと、同業他社などはそっくり同じような両面焼きの製品を作ることに疑問を感じなかったのでしょうか。私が不思議なのは、清掃が大変であることを開発設計者がどうして気づかなかったのか、という点です。自分で魚を焼く作業をしてみれば、一発で感じるはずです。開発責任者は魚が焼けるか焼けないかだけ気にして、後始末は部下にさせていたのでしょうか。
現代に生きる私たちは、さまざまな商品を使いながら生活しています。私が疑問に思うのは、そういう商品や製品の開発担当者は、自分が設計・開発した製品を自分で使っているのか、という点です。自分が生活の中で使うのに、それは適しているか、必要な機能・性能・耐久性を持っているのか、自分でもお金を払って買って使ってみる気になる製品を作っているのか、ということです。仕事は仕事でこなしておけばよい、自分が買うときはもっと優れた他社製品を買う、というのではまずいと思います。また、魚焼きで言えば、「焼ける」だけではだめで、その前作業で使いやすいか、後始末で簡単か、など、一連の工程を最初から最後まで検討してみて、総合的に優れているのでなければだめだと思います。人類の平和という観点から、あまりいい例ではないのですが、第二次大戦でアメリカは原子爆弾を開発しました。しかし、爆弾を開発しただけではありません。爆弾を運搬する手段としての爆撃機B-29も同時に開発しました。当然、爆弾だけ開発しても、実際に使うことはできません。攻撃目標まで運搬できてはじめて、使えるのです。このウェブサイトを作った人間として、この例を持ち出すのは好ましくないのですが、技術の開発にあたっては、どのように使うのか、最初から最後までを見通した戦略性が必要だと思います。
結局、両面魚焼きを開発してしまった技術者は、あとの清掃まで考えていませんでした。開発中の実験では、部下に清掃をさせていました。部下は思ったでしょう。下の受け皿に濃い脂がべっとりついて、洗剤をたくさん使っても落ちない。片面焼きならば、しなくて良い作業に時間がかかる。部下は上司にそれを指摘できたでしょうか。「あのう、両面焼きは、下に落ちた脂を洗うのがとても大変です。何とかならないでしょうか」と部下が言ったとき、上司は何と言ったでしょうか。「うるせえ。入社2年のお前が入社20年の俺に向かってナニ偉そうなことを言いやがるんだ。てめえは言われたことを言われたとおりにやっていれば良いんだ。ヴォケ、カス!余計なことを言うとシバクぞ、ゴルァ」・・・だいたい、こんなところではないでしょうか。若手社員は、もう新しいアイディアを言わなくなるでしょう。こんなふうに、大事なこと、新しい発想、物事をよい方向に持って行く手がかりになるようなものは、これまで多くあったけれど、それを言えない雰囲気、取り上げない傲慢さ等々で、その多くが闇に葬り去られていったのだと思います。そんな職場環境で設計・製作された商品が消費者にとって良い物か、市場で競争力のある物なのか、心配になります。
それはともかく、片面焼きの魚焼きグリルは、引き出しの取り回しも簡単、清掃も簡単で、いま現在私は魚の塩焼きをたくさん焼いて食べています。先日カラスガレイの真っ白な切り身に味噌を塗って焼いてみたら、味噌の色がついたところが焦げてしまいました。やっぱり塩焼きがいいですね。
この2年間は、けっして短い時間ではありませんでした。魚焼きの前のページ、KBS国際放送についても、すでに大きな変化がありました。こちらのページには月に2人くらいしか閲覧者がいませんので、まあ、あまり大した影響はないと思いますが。情報の更新がてら、ちょっと書いてみます。
まず、韓国ソウルからKBSがやっている日本語放送ですが、AMでの放送は夜8時から10時までだったのが、8時から9時までになりました。9時から10時まではロシア語になりました。この2年間で日韓関係はとてつもなく悪化しましたので、あちら側としても日本語放送に時間と電波を使いたくなくなったのかもしれません。基本的には夜遅くなるほど受信状態が良く、夜8時からよりも9時からの方が良好に受信できていました。だから、8時から聞いて、途中電波が弱くなって聞き取れなかったところは、9時からの放送も聴いて内容確認したこともありましたが、今はそれもできません。
受信方法については、1116kHzのBSN新潟放送から1179kHzのMBS毎日放送に向かってダイヤルを回すようにと書きましたが、こちらも大きな変化がありました。毎日放送の信号がなぜか弱くなってしまったのです。以前は当地新潟では夜間に非常によく受信できました。大阪の他の民放、1008kHzのABC朝日放送や1314kHzのラジオ大阪にくらべてもダントツに明瞭に聞こえたのですが、現在はABCと同程度か、それよりもさらに弱い受信状態になってしまいました。送信所の場所が変わったのか、FM補間放送があるから出力をけちっているのか、当方は全く推測できませんが、信号強度が弱くなったのは確かだと思います。したがって、1170kHzのKBS日本語放送を見つけるために1179kHzのMBS毎日放送を目印として使うテクニックは現在はうまくいかないと思います。以前MBSが強力だったころは、当地新潟でもよく聞こえました。たとえば大昔、私が高校生だった時、毎日夜10時からのMBSヤングタウンを聴くのが楽しみでした。大阪のMBS毎日放送は夜間に日本じゅうで最も良く聞こえる民放AM放送として、関西文化を日本全国に届ける役割を担っていたと思います。なぜ電波が弱くなったのか理由は分かりませんが、日本は東京だけじゃない、関西にも文化がある、それを強い電波で日本中に届けると言った自負や気概はMBSに無かったのでしょうか。つくづく、残念なことです。右寄りの汚い言説を吐く放送の方が良く聞こえると言うのは、日本の社会に取って望ましいことではないと思います。
話がKBS日本語放送からずれてしまいました。KBSで金曜日が一番おもしろいと書きましたが、ドクターシンさんの「玄界灘」は曜日が変わりましたし、金曜座談会は番組自体がなくなってしまいました。国際情勢を判断するのに非常に貴重な番組だったのに、日韓関係の悪化で日本側の出演者も協力しにくくなったのかもしれません。金曜日はそれで軟派な玄界灘をやっているようですが、現在、あまり聴く気はありません。
さて、当地新潟でのラジオに関する近年の出来事といえば、県民FM、FM PORTの閉局です。2020年6月30日の24時をもって、停波・閉局しました。偶然、停波の時刻に目を覚ましたので、スマホに録音しました。79.0MHzでした。新潟は車を運転しながらラジオを聴く人口が多いので、民放FM局が二つあってもぜんぜんおかしくないと思うのですが、スポンサーもつかず、大きな赤字を出しての終わりのようです。開局当初は洋楽中心だったので、私にはうれしい放送局でした。また、フォーシーズンズという番組や、夜の男性などはリスナーに人気が高かったのではないでしょうか。
FM PORTの閉局だけでなく、残念ながら、これからもメディアとしてのラジオは先細りでしょう。時代の流れだから、誰にも止められません。私はネットでラジオを聴くことはほとんどありません。ラジコもダウンロードしていません。ダウンロードして鳴らすアプリケーションなのか、ブラウザ上で動いてくれるのかも知らないくらいです。ではなぜラジオが良いのかというと、スイッチを入れてダイヤルを合わせればすぐ聞けるからです。ネットのように回線がちょくちょく切れて、再スタートする手間がかかることはない、電気をほとんど喰わない、ラジオを一度買えばあとはほとんどコストがかからない、電波の入る場所にいなければならないが、場所は自宅や公共Wifiがある所でなくても構わない、、、等々多くの利点を挙げることができます。ネットでラジオを聴こうとすると、電源を入れただけではだめで、まずアプリかブラウザを立ち上げて、目当ての放送局や番組を選んで、パソコンの音が鳴るように設定して、と準備が多すぎます。わざわざそれまでしてネットでラジオを聴こうという気が起きないのです。
普段はAMラジオの柔らかい音を聴いている私ですが、当地新潟の民放FMに関して言わせてもらうと、FM新潟は邦楽中心らしく、ながら聴きには適しません。FM KENTOは洋楽なんですが、ヒップホップというのか、かなり今風の洋楽をかけています。ながら聴きにはいいでしょう。新潟みたいな田舎で、洋楽1本で勝負しているのだから、FM KENTOはいい根性していると思います。となると、邦楽中心のFM新潟とヒップホップ専門のFM KENTOとのあいだで、選曲の面からはFM PORTは中途半端な立ち位置にあったのでしょうか。いやいや、この考察は間違っていると思います。私個人の好みから言えば、FM PORTは開局当初のように洋楽にこだわってほしかったですが、しかし、それではもっと短命に終わっていたかもしれません。ともあれ、もう存在しない放送局のことを論じても仕方ありません。民放AMのBSN新潟放送が92.7MHzで補間放送を行っていますが、私としては柔らかいAMの音が好きです。FMラジオの音は妙に高音域が耳にトゲトゲしいので、あまり聴きたくありません。一般にAMラジオとFMラジオではFMの方が音もよく、雑音も少ないと言われていますが、それは電波が強力に受信できる場合であって、電波が弱いとき、FMラジオの設定がステレオだとかなり不快な雑音が発生します。こんなときはFMラジオをモノラルに変更できるラジオであれば、我慢して聴ける状態になりますが、近年では、低価格帯のラジオなどはその切り替えができない物が多いです。
日本では、そして新潟では絶対に実現不可能でしょうが、70年代80年代のクラシック・ロックを1日中かけてくれるFM局があったらいいのになぁと思います。FM KENTOが今のヒップポップ路線から心変わりして、クラシック・ロック路線に変わってくれたら、私の年代ではけっこう聴く人も多いのではないでしょうか。私が若かったころはBSNラジオで毎晩10分くらいの洋楽番組をやっていましたから、そのリスナーだったら、今でも聴いてくれるかもしれません。
「邦楽中心では、ながら聴きには適しない」とは聞き捨てならぬ、と思われた方がおられるかもしれません。もうしわけありませんが、その点に関しては私の個性です。邦楽を音楽として聴くのは、私にとっては苦痛です。私はクラシックや洋楽を聴くのが好きです。私が思う音楽とはメロディー、ハーモニー、リズムが美しく組み合わされたものです。しかし、邦楽は違います。邦楽で大切なものは歌、特に歌詞です。歌詞で物を言うのが重要であり、メロディー、ハーモニー、リズムはそれほど重要ではありません。どうしてもそのところが、私の耳には心地よくないのです。もちろん、歌詞を通して人々の心に訴えかけることは意味があり、邦楽も人間のする行為として、そして他者と共有する行為として、とても価値あるものだと私も思います。私は他の人が価値を認めている物に対して、その価値を否定するほど、思い上がった人間ではありません。しかし、どうしても受けつけないものがあるのです。
洋楽がきらいな人がよく言うのは、「何を言っているのか解らない」と言うことです。だからやはり、邦楽では歌詞が大事だということが分かります。その歌詞を乗せるためのメロディーはフレーズが長くなって、音程が上がったり、下がったり、どこがメロディーの核なのか分からなかったりします。レッド・ツェッペリンのリフのようなことは、邦楽ではありえません。ハーモニーについて言えば、音楽は主和音で始まります。それが下属和音に変化して、また主和音に戻ってくる、次には属和音になるけれど、それが主和音に戻ったときに「解決」した心地よさを感じます。私はこの和声進行について、ヤジロベエのイメージを持っています。主和音の状態は、ヤジロベエが真っ直ぐ立っています。下属和音になったら、ヤジロベエが30度くらい傾いた状態でしょうか。次に属和音になったらヤジロベエが45度傾いた気分になりますが、その後、ヤジロベエがまた真っ直ぐに戻れば、ああ安心、主和音に戻りましたというイメージです。
ある曲の中で、どのくらい複雑な和声進行をするかは、その曲によってさまざまになり得ると思います。ただし、一般に親しみやすいポピュラーソングとして成立するためには、和声進行の複雑さもある程度に留めておくべきだと思います。和声進行が複雑どころか、転調ばっかりしているポピュラーソングなんて、だめだと思います。ポピュラーソングは親しみやすくあるべきで、もし複雑なコード進行が手に負えないなら、むしろまず2コードにすべきだと思います。昔のフォークソングや「ニューミュージック」の時代なら、導入部が2コードの曲はよくあったでしょう。しかし、現在の邦楽で2コードはないんじゃないでしょうか。そして、妙に複雑な和声進行は奇妙に響きます。ヤジロベエがいったん傾くけど、次に真っ直ぐに戻って主和音になるかな、と思うと、いや邦楽ではそうはならない。また次の別のコードへ進行して、ヤジロベエがさらに傾く。じゃ、今度こそヤジロベエは真っ直ぐに戻るかというと、さらに和声進行して主和音に戻らない。倒れ続けるヤジロベエ。これが私が邦楽を聴いたときに感じることです。
もうひとつ余計なことを言うと、ピアノで、いやいやバッハのインベンションを練習させられた人はよく理解していると思いますが、西洋音楽は多声音楽の伝統の上に成り立っています。現代音楽はメロディーがコードの上に乗っかっていて、ポピュラー音楽ではさらにリズムでの味付けの比重が大きくなるというのは、そうなんですが、メロディーが1つあるだけではなく、複数の声部が絡みあって音楽を構築しているという面に関しては、邦楽は少し弱いのではないでしょうか。
わたくしは、けっして、邦楽をけなしているのではありません。道を究めたものは、必ず価値があると思います。多くの人が努力して作り上げた物に対して、私は敬意をはらいます。しかし、個人的に受けつけられない物は、避けたところで他の人に迷惑がかかるのでなければ、これも私の個性として許してほしいと思います。音楽に関して言えば、いろいろ、たくさん、いろんな時代の、多くのアーティストたちの作品に触れて、自分の好きな音楽を見つけ出して聴くのがいいと思います。だから、私自身はK-Popに対して悪い印象はありません。ネットで読んだ記事ですが、日本のPerfumeの方がK-Popより優れているから、K-popを聴く必要はないという論調があったような気がします。記事の解釈が間違っていたらごめんなさい。しかし、私としては聴きたい曲を聴けばよいんじゃないかと思います。KだJだ、なんてことはどうでもよく、そんなところにこだわるのは音楽の本質より何か政治的な動機が入っているように感じます。ちなみに私は最近PerfumeのDVDをアマゾンでポチッとやってしまいそうな誘惑に駆られております。それはともかく、ある日、図書館で中高生向けに、分野別に仕事の業務内容や業界への入り方を解説したシリーズの本を読みました。音楽業界への入り方の本を開いたのですが、大手レコード会社の方たちがそろいもそろって「洋楽をたくさん聴いた方がよい」と言っているのは印象的でした。
話がいつの間にか、ラジオから音楽にそれてしまいました。ラジオに話を戻しますと、学生時代、私はよくNHK第一を聴いていました。しかし、今はほとんど聴きません。理由は、ここには書かないことにします。長くなるので。しかし、NHK第一の番組の開始時等に流れる音楽のダサさは一体なんですか?ちゃんと音楽を専攻して理論や経験を身に付けた人がNHK第一のジングルを作っていますか?ちょっと聴くに堪えないです。あんなのだったら、それこそポピュラー音楽畑の人が作曲やアレンジした方がいいと思います(深夜便の開始音楽や、第二の終了音楽は、よくできていると思います)。KだJだのいう話ではないかもしれませんが、この長文をここまで読んでくださった方に、ちょっと教えてあげます。韓国のKBSラジオのジングルはやたら上手で効果的な音楽です。AMラジオで言うと711kHzでソウルからの電波を聞けます。番組の合間合間に流れる音楽の出来具合と、NHK第一のヤケクソ音楽を聞き比べてください。私は「負けた」と思います。そしてひとつお薦めの音楽は、972kHzでハンミンジョク・チェイル・パンソンという強力な電波が聞けます。この放送で毎朝5時から韓国の国楽の時間があるのですが、その開始音楽がとてもよいです。私はソニーのラジオで、毎朝5時にこの音楽を鳴らして目覚めるようにしています。972kHzですから、954kHzのTBSラジオのちょっと上、あるいは右になります。
えらく長い文章になりました。目安として、前の両面焼きのページが23kBだから、そのくらいの長さにしようと思ったのです。ここまででこのページは27kBになっていますが、もうひとつ書きたいことがあります。最近、職場のハラスメント関係の本を読む必要が生じました。本を買っている経済的余裕はないので図書館で何冊か借りました。その1冊について書きます。
鈴木瑞穂、「現場で役立つ!ハラスメントを許さない現場力と組織力」、日本経済新聞出版社、2019.10.2、pp52-53
転載許可を得ていませんから、引用の範囲内で書かせていただきますが、当該箇所「(4)グレーゾーンの事例、事例10_髪型を褒めたら」で、ロングヘアをショートにして来た女性部下に対する二人の管理職の話があります。朝はじめに女性部下を見た課長職の男性がショートヘアを褒めたとき、女性部下は「ありがとうございます」といい、その日の午後、別の男性上司、たぶん部長職かなにかだと思いますが、ショートヘアを褒めたとき、女性は「それってセクハラじゃないですか」と言ったそうです。もちろん読者の私はこの事例について、なんら知るよしもありませんが、ショートカットにした女性部下が2人の男性上司に異なった感情を持っているというより、私は別の可能性があるような気がしました。以下は私の想像です。
女性部下は、ロングヘアをショートにして、朝出社したとき、男性上司等が何と言うかについて、とくに想定はしていなかった。朝はじめに課長から「イメチェンしたねぇ、似合うよ」と言われたとき、とっさの反応として嬉しそうに「ありがとうございます」と言ってしまった。上司にいきなり反発することなど考えていなかったし、その女性なりの、その場を丸く収めてしまう習性から、反射的に感謝の言葉を述べたのではないか。しかし、朝イチでそんな反応をしたあとで、女性は気づいたのではないだろうか。課長の発言は適切だろうかと。髪が短くなったことに気づいたということは、少なくとも課長は女性の外見をじろじろ見ていたのだ。そして、似合う・似合わないは女性の外貌に対する価値判断をしていることを物語っている。女性は、あとから、課長の言葉がセクハラの可能性のあることを感じ、また、その場を取り繕う言葉を自ら発してしまったことを後悔したのではないか。だから、次に同じような発言が男性上司から出てきたときは、セクハラの可能性があると指摘したいと心に決めていた。そこでちょうど午後になって別の男性上司がショートヘアのことを言及した。だから女性部下は「それってセクハラじゃないですか」と男性上司に言った。
とまあ、事例10に対する私の見立てはこんなものです。筆者も気づいていて、だけどこんな長々しい説明はしていられないから、pp.65-66で「別の上司に対するその女性部下の「感情」によるのではないでしょうか」というかんたんな説明にしてしまったのかもしれません。この本全体について言えば、当てはめ判断が可能なブラックゾーンと個々個別の調査・判断が必要なグレーゾーンがあると言うことを繰り返しているだけです。後者のグレーゾーンについてはNG集とかで安易な判断はできないと言っているところは傾聴に値しますが、あとは同じことの繰り返しです。また、著者は管理職研修の講師をたびたびしているからでしょうか、被害者側の視点よりは、裁定する管理職者側の視点に大きく片寄った印象を受けました。箇条書きが多く、文章はスカスカ、最後は事例を示してぷっつり終わってしまう。書かれている事例や筆者の経験に基づく記述は有用ですが、本にして出版するためのエネルギーの掛け方や、本としての体裁など、不足な面が多いですから、これで1600円はないでしょう。この内容なら1000円を切らないといけないと思います。アマゾンに星の数をつけるとすれば2個と3個の間だと思います。買うのではなく、図書館で借りてよかったと思います。
と書いているうちに、32kBの文書量になってしまいましたので、今月はこれでお終いにします。ただいまは2021年の1月、新型コロナ感染症のおかげで行動の自由が制限されています。この件については、専門でない人間がフェイクニュースのような物をネット上にばらまいてはいけないと思います。だから私もここでいろいろ書くのはやめておきますが、ヤフーのコメント欄を見ていると、外国人排斥みたいなコメントが多くてうんざりします。私はそうですね、コロナ禍が終わったら、韓国へ行って、スンデでも食べて来たいですね。
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